真似することは”悪”ではない。
でも、真似をしても”同じ”にはなれない。
私たちは真似することから、”個”になれる。

 

いいなと思ったことを真似したことを
昨日のブログに書きましたが
今日は真似することについてもう少し
書いてみたいと思います。

昨日の記事はこちら「いいな」と思うことは「いい」

 

 

真似すること。
それは、悪いことではなく
むしろ必要なことです。

そもそも私たちは、
生まれたときから親や周囲の大人を
真似ることで成長してきたのですから。

けれども、
真似ることと”同じになること”は違う。
真似をしても”同じ”にはなれないのです。

どれだけ真似をしても、
私は私、あなたはあなた、あの人はあの人
他の誰かにはなることはできないのです。
たとえ、どれだけなりたいと思っても。

 

憧れのスター、尊敬する師、大好きな漫画の主人公…

誰しも「あんな人になりたい」と
そう思える人がいるもので
それは、時に、
前に進む大きなパワーをくれます。

けれども
あの人は私、私はあの人、とか
あの人の言う通りにすればいい、とか
そう思ってしまうこともあります。

カウンセリングでは
これを”同一化”などと言い、
防衛規制の一つと考えます。
防衛規制とは、心の安定を保つために
無意識に起こる心の動きのことです。

たとえば現実では
勉強もスポーツもできない自分、
という劣等感を持っていた人が、
スポーツ万能、成績優秀、皆から好かれる
そんなスターをテレビで見かけます。

その時「スターのようになりたい」
という憧れから
「自分はそのスターなんだ」
という思いに変わり、
そう心の中で想像したとします。

すると、その瞬間は自分の劣等感を
忘れることができます。
心の中で自分はスターになっているから。
しかし、それを続けてしまうと
勉強やスポーツ、そして自分自身、
それらと向き合うことから
逃げ続けることにもなってしまうのです。

ただ、防衛規制は心の安定を
保つために起こるもので
必ずしも悪いものではありません。
たとえば、心のもやもやを
スポーツや芸術など、他の分野で
発散する”昇華”という防衛規制。
これにより、その分野で優れた成果を
あげるというケースもあります。

 

 

真似をすること、
自分は自分であること、
人はそれぞれ”個”であること

これらをどう

 

守破離(しゅはり)という教えがあります。
武道や茶道など、日本の”道”文化における
師弟関係のありかた、思想の一つです。
千利休の言葉から生まれたそうですよ。

 

守:師の教えを守り、型を真似る。

破:より良い、自分に合う型を模索して師の型を破る。

離:完全に師の型から離れ、独自の個性を発揮する

 

なーんだ。
何百年も前から
ちゃんと大切なことを
教えてくれていたんですね。

 

私自身は、
真似ることは
悪いことのような気がして
真似ることに恥ずかしさも
感じていました。

独自性が大事!
オリジナリティを追求して
真似をしたら私じゃない!
私らしくない!
と、オリジナリティを主張してた。

まだ”守”の段階なのに
いきなり”破”や”離”をやろうと
していたんですね。

だから、”個”に辿りくなんてできず
私というものが無い、
そんな恐怖に怯えて
余計に”私らしさ”を叫んでいた。

 

 

 

宮崎駿さんが何かのインタビューで

「自分の作ろうとしているものなんて、だいたい神話の中で語られてる」

と、そんなことを仰っていましたが
それはもう、とてつもないほどの
師、型との戦い、
「破」「離」への挑戦なんだろうなぁ…と
あらためて作品の素晴らしさを感じます。

 

 

長くなりましたけれど
何が言いたかったかというと
今週の金曜ロードショー「もののけ姫」が
楽しみ過ぎる、ということです(違っ)

 

手をつなぐ親子